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 いわきの宇治山・長谷寺は、平安初期の大同2年(807)に法相宗の高僧、徳一大師さまによってお観音さまを本尊として開かれました。続群書類従(しょくぐんしょるいじゅう)の神明鏡に記されているように平城(へいぜい)天皇の勅願によって創建されたことから舊平城御願(きゅうへいぜいごがん)・長谷寺と称されております。

 現在のお観音さまは鎌倉時代後期の作で、文保2年(1318)いわきの豪族岩崎氏が同家の先祖菩提を念じて大仏師能慶をしてカヤ材寄木造りの総丈約270センチの檀像を寄進されました。更に難陀龍王、雨寶童子を両脇侍とする長谷観音三尊仏として多くの参詣者にお拝まれています。

 お観音さまは右手に錫杖を持ち岩座の台座に立つ典型的な長谷式の十一面観音さまですが、このお観音さまのみ名をただ一心にお唱えされる方がこの世にいるかぎり、お観音さまはその苦悩の声を聞きつけて即座に台座より飛び降り、どんな困難なところであってもたとえそれが地獄の底であっても、杖をついて衆生に救いの掌をさしのべようと誓いをたてて慈悲心溢れるお姿で本堂中央に立っておられます。









 天照皇大神がこの世に降臨された時のお姿であるといわれ、長谷の観音さまを拝むことはお伊勢さまをも同時に拝んでいるという信仰形態を保つ八大童子の一つ。

 お観音さまの、み名を念ずれば極限状態に追いつめられた人々の心にさえ、ぬくもりと安らぎが得られると…。

 それは丁度、乾ききった枯死寸前の地上の草木をうるおす、しげき雨に似ていることから雨宝童子と呼ばれている。



    
          
 一心にお観音さまを念ずれば、意のままに幸運をもたらす働きがあると云う大変、不思議な珠を左手に持っている。





   


 難陀とは古代インドの言葉で喜び即ち歓喜と云う意味であるが、龍は常に人々に危害を加える悪獣であった。しかし仏さまの教えにさとされて、逆に仏法をおまもりする強大な守護神となる。これはどんな極悪非道な人間でもお観音さまを念ずることにより、それを機縁としてまじめな人間になり得ることをさしている。

 観音経を守護しお観音さまのすすまれるいかなる所へにも常にお供をし、その法力を倍増する役割をもつ。



    
        
 大地の岩間より湧出する龍の子の姿が彫られた法器を持つ。これは豊穣、即ち豊かさをもたらす龍神の中の龍神と云う意味で龍王と称されるように大きな富裕を生み出すことから、国家の隆昌から社会経済の安定と成長、個々の事業・商売の成功と、はては農業生産性の向上や女人安産といった”念ずれば花ひらく”ことを表現している。










  
 長谷寺をお開きになられた徳一大師さまは天台宗を開かれた最澄さまとは三一権実論争(さんいつごんじつろんそう)を、真言宗を開かれた空海さまとは真言宗未決文(しんごんしゅうみけつもん)等で日本宗教史上に燦然と名をはせ、平安時代初期に活躍された法相宗の高僧です。

 徳一さまより最澄さまは15才上、空海さまは徳一さまより7才年長で三高僧ともに同世代の方です。

 最近になって徳一さまの研究が大いに進み、そのひと・おしえ・がくもん等が判明しつつあり、その偉大なお姿が偲ばれます。

 承和9年(842)11月9日を開山忌とし、且つお観音さまのご縁日を毎月9日として多くの方々のご参詣をいただいております。









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